2019年4月28日日曜日
こんばんは。三度目の二井です。
題目が自由らしいのですが、すでに競技の過去と現在、将来については書いてしまったので、今回は前々回に省略したことについて書かせて頂こうと思います。
前置きとして、今回は話も長く、重く、読んでいて気持ちの良い内容ではないかもしれません。この選手ブログの明るい雰囲気には合っていない話かもしれませんが、ご容赦ください。
前置きが長くなりましたが、本題に入らせて頂きます。
第一回のブログでは「休部していたけれど、戻って来た」と書きましたが、部に戻ろうと思ったのは陸上を捨てきれなかった、ということも勿論ありますが、きっかけは母との会話です。
その頃は気ままにジョグはしていたものの、特に競技に戻る気もなく趣味程度で走れればいいや、と考えていましたが、母は「康介の箱根を走っている姿が見たい」と話してくれました。
自分はこの時にようやく走る目的を思い出し、すぐに復帰を決意しました。
実はこの時、母は既にガンに侵されており、闘病生活の中にいました。命をかけて闘っている母と約束し、「自分が走る箱根駅伝を母に見せる」ことを目標にして部に戻ってきたという訳です。
しかし、去年の5月の始め母は懸命な闘病の末、眠りにつきました。
唯一の心の支えを失い、この後どうしたらいいんだろう、と漠然と考えていました。母に箱根を見せてあげられず、精神的に疲れ切ってしまった自分はそれでも戻ってきたからには、と無理やりジョグをしますがろくに走れたものではなかったです。集団ジョグやポイント練習などでも急に涙が出てきてしまうこともあり、立ち止まることもよくありました。
自暴自棄になり、精神的にギリギリだった自分を支え、まだ箱根を目指そう、と思うまで元気づけてくれたのは現在の彼女と同期達、何より家族の存在です。本当に救われ、返しきれない大恩があると思っています。その人たちのためにも、特に父のためにもまだ箱根駅伝は諦めていません。
長くなりましたが、この一年は人生で最も失ったものが大きく、学んだことが多かった年でした。唯一良かったと思っているのは自分が既に反抗期を終わらせていたことだと思います。親と喧嘩したまま、感謝も伝えぬまま別れてしまうことは最も愚かで後悔することだと思います。
これは全男児がそうだと思いますが、自分の初恋は母だったと思います。そんな重度のマザコンである自分でさえ、未だ伝えきれていないことがたくさんあるので他のみんなはまだまだ両親に伝えられることがあるんじゃないかな、と思います。
親を看取ることが最高の親孝行であると思うので、家族は大事にして欲しいと思います。
なんか上からですが。
つらつらと上から目線で長ったらしく書いてしまいすみませんでした。つまり、お父さんお母さんは大事だぞって話です。
暗い感じになってしまいましたが、明日は大森がまた明るく面白いブログに戻してくれると思いますので大丈夫です。
ありがとうございました。
二井康介(4)
投稿者
選手
時刻:
18:39

