2019年7月21日日曜日

こんにちは。
いつもブログをご覧いただきありがとうございます。今年、マネージャーに就任いたしました、経済学部公共・環境経済学科1年の炭山遥香と申します。
今回が初めてのブログとなりますので至らない点も多くあると思いますが、温かい目でご覧いただけたら嬉しく思います。

今回は、主に私の高校時代のこと、マネージャーになりたいと思った経緯についてお話ししたいと思います。

私の出身高校は、IHや国体などで活躍する選手も多く、陸上部の活動も盛んな東京農業大学第二高校です。その他にもラグビー部、ソフトテニス部の活動が盛んでしたが、私は中学校から吹奏楽部に所属していたため、マーチングで成績を残していた吹奏楽部に入るために農二に進学をしました。

自分が好きなことをやらせてもらえ、大きな舞台も経験させてもらえて、今思えば相当恵まれていたのだなと思いますが、当時の私にそう思えるだけの余裕はありませんでした。成果が得られた時の達成感や喜びを1とするならば、私にとってのそこまでの辛くもある過程は10以上に感じられました。毎日、朝から晩まで、何百、何千分の1秒かも分からないわずかなズレを同じ楽器の6人で合わせるために、たった3秒ほどのフレーズを何時間も練習していました。プレッシャーを感じ、何度ももう無理だ、やめたいと思っていました。

実際私は1年の秋から退部するつもりで休部していましたが、母の猛反対により2年の春から復帰し、部員や家族、顧問・担任の先生方、学校内外のこの部活を応援してくださった方々の支えがあって3年の12月の引退まで続けられました。それでも、今振り返れば部活を辞めた自分の姿は想像もつかないし、楽しかったことばかり思い出してしまうので、両親や受け入れてくれた仲間、顧問の先生にはとても感謝しています。

この3年間を経て、私はこれからの大抵のことは乗り越えられるという強い自信が得られました。また、吹奏楽、マーチングとは一人でも欠けたら成立しないので、自分の代わりはいないのだと集団の中の自分の責任を強く感じられるようになりました。全国大会の舞台に立たせてもらい、学校を、県を、関東を背負って代表として本番の演技だけでなく、普段の行動からきちんとしなければならない、と思うようになりました。

また、吹奏楽部に所属していなければ、中央大学に進学することも、陸上部のマネージャーになりたいと思うこともなかったかもしれません。私はいままで陸上とは無縁の人生を送ってきました。高校2年の10月半ばのある日、体育館に練習に向かう車の中でみたシューイチの箱根予選会の特集を偶然見て、感動というよりはこんな世界があるんだと、箱根駅伝といえば本戦しか見ていなかった当時の私にはとても新鮮に、強く印象に残ったと同時に自分も頑張らなくては、と思ったのを覚えています。元々色々なスポーツを見ることが好きだったのですが、これが私が大学駅伝に興味を持ったきっかけだと思います。

中央大学への進学は、部活動での功績と学業成績から指定校推薦をいただくことができました。陸上部のマネージャーを募集していることは知らずに入学し、大学で何をするのか考えていたのですが、偶然勧誘のチラシを貰え、先輩方からお話を聞いた時にはマネージャーになると決心していました。そして今、こうして選手たちの大切な4年間の一部に、マネージャーとしてサポートという形で関われることを大変幸せに思います。自分が挫けそうになったときにスポーツに与えてもらった感動や活力を、これからの4年間、チームのために働くことでそれらを与える側の手伝いができればいいな、と思います。

そうは言っても、陸上経験のない私は正直まだわからないことばかりで、いろんな方に教えてもらい、支えてもらいながら毎日勉強しています。今お世話になっている分を少しでもはやく仕事を覚え、チームに貢献することで返していけるように頑張っていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
次の担当は4年の田母神一喜選手です。是非ご覧ください。

炭山遥香(1)

右から2番目:炭山(1)

  • 中央大学陸上競技部