2024年6月16日日曜日
日頃より中央大学陸上部への厚いご支援、ご声援、誠にありがとうございます。今年度の選手ブログのテーマは自由という事で、奇を衒うようではありますが、好きな音楽について書いてみようと思います。
私は『amazarashi』というバンドの曲が好きです。音楽に疎い私ですが、唯一自信を持って好きだと言えるアーティストであり、中学生の頃に出会って以来、ずっと聴き続けています。その魅力は何と言ってもメッセージ性の強い歌詞です。ただ明るい言葉で励ますような応援ソングと違い、現実の辛く苦しい部分にもスポットを当てた上で“それでも”と背中を押してくれるのです。そんな歌詞の中で、私の心に深く刺さった言葉があります。
“謙虚もつつましさも むやみに過剰なら卑屈だ”
『フィロソフィー』という曲の一節です。私は、謙虚さやつつましさといった精神をとても大切にしています。「驕れる人も久しからず」といったように、傲慢で尊大な態度は自分の身を滅ぼすからです。しかし、私はそうした精神をいつしか履き違えてしまったように思います。大学に入ってからの私は、常に人の目を気にしていました。悪く思われないよう遠慮がちでいよう、笑われないよう身の程をわきまえよう、だって自分は“一般生”なんだから、そう思い込んでいました。しかし、それは謙虚さやつつましさの度を超えた、ただの卑屈であっただけに過ぎません。思えば、私はその“一般生”という言葉に長く囚われていました。今でこそ、一般生だからと引け目を感じる事はありませんが、今一つ競技者としてブレイク出来ないのは、私が今でも“一般生”に足を引かれている証拠なのかもしれません。いっそ“一般生”などという薄弱なアイデンティティは捨て去ってしまうべきでしょうか。その問いにヒントを示してくれた言葉があります。
“いつか屈辱を晴らすなら 今日、侮辱された弱さで”
『フィロソフィー』の歌詞の続きです。これまで、私は“一般生”をどうやって払拭するかばかり考えていました。しかし、私を苦しめてきた“一般生”という言葉も、私が私であるための要素の一つであり、中大陸上部への入部を望んだ私が勝ち取った、一つの結果なのです。それを安易に捨て去る事は出来ません。“一般生”を“弱さ”から“強さ”へ。これまで味わってきた屈辱を晴らすには、それが必要です。「一般生だからこそ戦える。」そう強く信じ、残された競技生活の中で精一杯努めます。そんな姿を応援していただけますと幸いです。
このように、『amazarashi』の歌には、悩みや不安と向き合った際に指針を示してくれるような力強い言葉が詰まっています。それこそが魅力であり、私が好きな理由です。これからも悩みや不安は訪れますが、時にそうした音楽の力も借りて、乗り越えていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は、神奈川ハーフチャンピオン髙沼さんです。
折居 幸成(3)
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| 宮崎での1枚 |
投稿者
選手
時刻:
18:45

